韓国の兵役免除は「国威発揚」の下、なし崩し的に拡大されてきた。その特例を巡る歴史


2018年ジャカルタ・パレンバン・アジア大会が盛り上がっている。多くの競技が開かれ、メダルラッシュだが、断然話題は「ソン・フンミン」だ。ソン・フンミンが兵役特例の恩恵を受けられるか否かだ。

実は、おなじみの風景だ。アジア大会はほとんどオリンピックより兵役特例の恩恵が話題になる。オリンピック1〜3位に入るより、アジア大会1位の方が簡単だという認識のためのようだ。実際いくつかの種目(サッカー、野球)はそういった傾向がある。

朴正煕が導入し、全斗煥が定着させた制度

兵役免除として知られているが、厳密に言えば免除ではない。芸術・体育要員として服務するのだ。

体育分野に限ったことではない。国際芸術コンテストで2位以上に入賞した人は、国内の芸術コンテスト(国楽などの国際大会がない分野のみ該当)1位に入賞した人らとともに、オリンピック3位以上、アジア大会1位入賞者が特例対象者と規定されている。

体育要員として服務する間、選抜当時の体育種目の選手として登録して活動しなければならない。服務期間は2年10カ月だ。

この制度は、朴正煕大統領時代の1973年4月に施行された。「学術・芸術又は才能の技術を有する者のうち、国家の利益のために、その技術の啓発や発揮を必要とすると認められ、特技者選考委員会が選考した者」を補充役に編入させるよう道を開いた。しかし、適切に施行されなかった。

死文化されたこの制度を生かしたのは全斗煥政権だった。1988年のソウルオリンピック誘致のため熱をあげていた全斗煥政権は、81年3月に基準を明確にして制度を施行した。

●世界オリンピック大会・世界選手権大会(青少年大会を含む)・ユニバーシアード大会・アジア大会・アジア選手権大会(青少年大会を含む)で3位以上に入賞した者
●韓国体育大学卒業者のうち成績が卒業人員の上位10%に該当する者
今と比較すると、恩恵を受けられる範囲が非常に広い。当時、政府関係者は、「優秀選手として競技力がピークに達した国家代表選手たちが軍服務をするため、競技力向上に損害を被る」と、制度導入の理由を説明した。

現行法のようにオリンピック3位以上、またはアジア大会1位の入賞者だけに兵役免除を与えることに定まったのは、1990年4月からだった。

ゴムひもになる運命

そもそも「国威宣揚」という基準は、なし崩し的に拡大される運命を持って生まれた。

最初のきっかけは、2002年の日韓ワールドカップだった。サッカー代表チームはベスト16に進出し、激励で訪れた当時の金大中大統領にキャプテン洪明甫が、「後輩たちの軍服務問題を解決してくれ」と提案した。金大統領は、「サッカーの発展のために重大な事案であり、国防部長官と相談してうまくいくようにする」と答えた。政府は、「ワールドカップサッカー大会で16位以上の成績を収めた人」に兵役特例を付与すると規制を緩めた。

サッカーの次は野球だった。4年後の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、野球代表チームが日本を2回破って6戦全勝で準決勝に進出すると、その翌日に当時与党だった「開かれたウリ党」と国防部は、野球代表選手たちに兵役特例を適用することを決めた。兵役法施行令に「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC、World Baseball Classic)の大会で4位以上の成績を収めた人」が追加され、代表選手たちに遡及適用された。

この二つの条項は、特定種目への特恵という激しい非難の世論に直面した。結局、2007年12月28日に削除された。以後、「アジア大会1位、五輪1〜3位」という基準は維持された。

2013年9月に兵務庁が「累積点数制」を提案して修正が検討された。基準展100点を超えた選手に特例を与える案だった。オリンピックの金メダル(120点)と銀メダル(100点)は、すぐに特例の対象となる。しかし、アジア大会の金メダル1個には50点だけ付与され、すぐに特例対象者になれない。スポーツ界が強く反発し、結局、失敗に終わった。

原文:

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